いつから始めたのか記憶にないくらい、ずっと続けている習慣に散歩のついでの地域のごみ拾いがあります。
数年前までの私は捨てられているごみを見るたびに地球が汚れてしまう「悲しみ」を
感じていました。
そしてごみを捨てていく人に対しても「なぜこんなことをするんだろう」という
わずかな「怒り」も感じていました。
ところが、ある時期から「悲しみ」も「怒り」も全く感じることなく、
ただただ純粋な喜びとしてごみを拾っている自分に気が付いたことがありました。
落ちているごみを何の感情も持たず、ただ拾う。
すっきりときれいになったのを見てうれしくなり、
地球が喜んでいるように感じられ、さらにうれしくなるという喜びの循環です。
全く同じ行為をしているのに、「悲しみ、怒り」という感情から「純粋な喜び」という
感情に意識が大きく転換したのはなぜだろうと過去を振り返ってみました。
その転換の間には、人生のどん底を体験していました。
自分史上最低レベルのあらゆるネガティブな感情、
絶望、失望、不信感、恐怖、悲しみ、などを体験し心を閉ざし、
出来る限り人と関わらないように3年間引きこもったのち、
恐る恐る扉を開けた外の世界はとてつもなく素晴らしく美しいものでした。
底を見たことで、あらゆるものがそこに「ただ在る」だけで、
素晴らしいと感じるようになっていました。
相変わらずごみが落ちている世界は何も変わっていないのに、自分の意識が変わっただけで
全てが愛おしく、感謝の気持ちが自然と溢れてくるようになりました。
人生最大の困難は、人生最大のギフトをもたらしてくれました。
でも、もう一度どん底をやれといわれたら、かなり迷いますが、
どん底を経験する以前の自分に戻りたいとは思いませんし、
そこで経験したこと、学んだこと、出会った人々は大切な宝物になっています。
文・写真 EIKO